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週報

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2022/2/20(日)週報

2022年2月19日

【次週主日礼拝】

  • 2月27(日)降誕節第10主日
    説教:本間一秀牧師 説教題「嵐の中にあっても恐れるな」
    ヨナ1:1-2:1マルコ4:35-41 

【お知らせ】

  • 2月22日(火) の入門者会は中止します
  • 2月25日(金)午後1時30分より行われる予定の東川口家庭集会は休会します
  • 3月21日(月休)開催予定の埼玉地区総会は紙上にて行われます
  • 説教原稿の郵送を希望される方は牧師までお申出下さい。

【祈り】

  • 主のご降誕の恵、コロナウイルス感染の収束を覚えて祈りましょう。
  • ご高齢の方々、病と闘って居られる方々を覚えて祈りましょう

【関東教区お祈りカレンダー】「互いのために」(ヤコブ5:16)

  • 熊谷、行田、愛泉の各教会・諸川伝道所めぐみ幼稚園、取手伝道所取手幼稚園を覚えて

【先週の集会報告】

先週集会統計
礼拝出席 C  S
男・女・計

1・2・3

休 会
献            金 2,000円

 

聖研祈祷会:休会
CS保護者:

【礼拝他について】

  • 主日礼拝、CS活動と全ての活動は3月6日まで自粛することに決定しました。礼拝自粛中、週報、説教等をできる限り皆さんにお届けしたいと思います。説教音声をホームページにアップしています。パソコン、スマホで聴取できますので是非お試し下さい。なお、活動再開については追ってご案内します。

【週報等の発送について】

  • 週報、会計報告等は欠席されている方々には従来とおり送らせて頂きます。説教原稿郵送を希望される方は牧師までお申出下さい。

【お誕生日】

  • 今月お誕生日を迎える方がご健勝でありますよう、主の恵みが豊かにありますようお祈りします

【説教要旨】

  人は病を得た時「いやし」を求める。しかし、主イエスは病のいやしに先立って、罪の赦しを宣言された。何故か。「罪の赦し」と「病のいやし」はどちらが難しいのか、あるいはどちらが大切なのか。私たちが人生において求めることは、自分の力ではどうしようもない病気や苦難が取り除かれることである。失業すれば、生活が困窮する。子供が不登校になれば、家庭は荒れる。元気な人が病気で倒れれば、生きる力さえなくなる。生きることは苦難の連続である。その現実の中で、私たちは現実を打ち破る力、病をいやし、困難を取り除いてくれる力を求めている。だから、シモンの家には「いやし」を求める人々があふれ、教会にもいやしを求めて人が訪ねて来る。私たちが求めるのは、目に見えない罪の赦しではなく、目に見える病や不幸のいやしである。 しかし、主イエスは中風の人に、まず罪の赦しを語られた。当時のユダヤ社会では、病気は「罪を犯した人間に対する神の罰だ」と考えられていた。これはユダヤ教だけではなく、多くの宗教にある「因果応報」の考え方である。イエスはこれをきっぱりと否定される。「あなたの罪は赦された」、あなたは神の怒りの下にあるから病気になったのではない。父なる神はそのような方ではない。神はあなたを愛しておられる」と言われたのである。主イエスは因果応報を明らかに否定された。主イエスは自らが痛むことにより、病む者たちの痛みを共有された。「あなたの罪は赦された」という宣言は、「その罪は私が代わりに引き受ける」という決意のもとで為されているのである。「“神の下さるものに悪いものはない”、私はベッドの上で幾度もそうつぶやいた。すると癌が神からのすばらしい贈り物に変わっていた」(三浦綾子「泉への招待」)。この信仰こそ聖書の信仰である。罪赦されて、いやされて、救いへと導かれるのである。共に居ます主イエスを信じて歩みたい。

カテゴリ:週報
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