2022年1月29日
【次週主日礼拝】
2月6日(日)降誕節第7主日説教:本間一秀牧師
説教題「良い種」サムエル下12:1‐13・マルコ4:1‐12
【お知らせ】
2月1日(火) 午後2時からキリスト教入門者会が行われます。
【祈り】
【関東教区お祈りカレンダー】「互いのために」(ヤコブ5:16)
東松山、越生、毛呂の各教会、鹿島教会鹿島幼稚園を覚えて。
【先週の集会報告】
先週集会統計 | ||
礼拝出席 | C S | |
男・女・計 |
8・12・21 |
2・1・3 |
献 金 | 16,500円 | 1,610円 |
聖研祈祷会:休会 |
CS保護者:1名 |
【礼拝他について】
主日礼拝、CS活動と全ての活動は2月13日まで中止することに決定しました。礼拝自粛中、週報、説教等をできる限り皆さんにお届したいと思います。説教音声をホームページにアップしています。パソコン、スマホで聴取できますので是非お試し下さい。なお、活動再開については追ってご案内します。
【説教要旨】
教会には様々な思い患いや障がいを持たれた方が来られることもある。これらの方々は、苦しみの中から「何とか楽になりたい、癒されたい」との切実な思いをもって求道され、信仰告白から洗礼へと導かれる場合もある。しかし、受洗後の教会生活で、病気が好転せず悪くなったり、対人関係がうまく結べなかったりして、教会を離れ気味になって行く場合もある。その様な時、無力感を覚えることもある。私達は病気について知識が不足し不安で、一歩引いてしまうのである。このとき私たちは思い起こすことが出来るだろうか。苦しむ方のそばに誰よりも近くいて、その苦しみを共に担っているのは主イエスだということを。癒しと和解は神の業であること、私たちは、神のなさる業を証しているだけであることを。癒しは神の業である。私たちには「いやし」は出来ない。目の見える人でも自分が「幸福」と言い切れる人は多くはないと思う。歩けない人が歩けるようになっても、それだけでは救われない。マルコ1章の物語は「いやしの物語ではなく、救いの物語」である。「いやし」の背後には主イエスの十字架がある。主イエスはらい病者の罪も私たちの罪も、背負って十字架につかれたのである。その十字架によって、私たちは解放された。私たちが伝えるべきは「いやしではなく、救い」である。主イエスの十字架、救いは十字架からくる。主イエスがいやしの業を行なわれたこと、その御業を宣べ伝え、行っていくことである。それが救いの業になる。それこそが、私たちに委ねられているのである。新型コロナウイル感染に恐怖するこの世の人々に、主イエス・キリストの救いの御業を宣べ伝えて参りたいと願う者である。