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2023/4/7(金)消火礼拝

2023年4月7日

主の御受難を覚えつつ、聖書の言葉を読む毎にローソクの灯を一本ずつ消して行きます。「昼の12時になると、全地は暗くなり・・」(マルコによる福音書15 章33節)に合わせて暗闇を再現します。そして、復活への希を覚えたいと思います。

【説教要旨】マルコ1534「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」主イエスの十字架上の言葉である。「神にも見捨てられたのか?」多くの人がこうした体験をする。先の東日本大震災では無念の内に数万人の人が亡くなった。原爆で殺されていった人たちも、「何故」と問いながら亡くなっていかれた。人生には多くの不条理がある。もし主イエスが平穏の内に、神を賛美されながら亡くなって行かれたとしたら、その主イエスは私たちと何の関わりもない人になる。神学者のモルトマンは説教「無力の力強さ」で次の様に語っている。「イエスもわれわれと同じように生きて、同じように死の苦しみと不安を覚えられた。この事実がイエスとわれわれの距離感を縮める。神の前では全てが受け入れられる。嘆き悲しむ時は嘆き悲しんでも良い。イエスですら死に臨み、悲鳴し、絶望したのだから、死に直面した時のわれわれの弱さとて義とされる。これは何よりも慰めになり、癒しになるのではないか」すなわち、神の子であり人の子でもある主イエスもご自身の死に直面して悲痛な叫びを挙げたことが慰めとなると言っているのである。イエスは人に棄てられ、神に棄てられ、絶望の中に死んで行かれた。イエスが十字架にかけられた時、人々はイエスを嘲笑した。しかし、イエスが息を引き取られた後では嘲笑は消え、その代わりに思いがけない言葉が語り始められる。イエスの十字架を目撃したローマ軍の百卒長は「本当にこの人は神の子であった」と告白した。彼はイエスの十字架の死に神の働きを見た。苦難の中に神が共に居られると信じることが出来た。苦難が私たちに重くのしかかる時「この苦しみは誰も分かるまい」と思う。しかし主イエスは苦難の底で絶望しながらも、「わが神、わが神」と叫ばれた。この叫びは「聖書の神は私たちの苦しみを知り給う。正にこのことが、絶望のどん底にいる人を慰める」。私たちが苦難の中にあり、誰もそれを理解してくれない時にも、神はそこにおられる。その信仰が私達一人一人を、教会を、形成して行くのである。

 イースター礼拝の御案内 

主イエス・キリストの復活を覚え共に賛美しましょう。

202349日(日)午前1030 

説  教 「主の復活を信じて」本間一秀牧師

 

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