2022年3月4日
【礼拝後の予定】
・午後0時30分より定例役員会が行われます。
【次週主日礼拝】
3月13日(日)受難節第2主日
説教:本間一秀牧師 説教題「神の国は来ている」
エレミヤ2:1‐13マルコ3:20-27
【お知らせ】
【祈り】
【関東教区お祈りカレンダー】「互いのために」(ヤコブ5:16)
【先週の集会報告】
先週集会統計 | ||
礼拝出席 | C S | |
男・女・計 |
1・2・3 |
休 会 |
献 金 | 2,000円 |
聖研祈祷会:休会 |
CS保護者: |
【礼拝他について】
【世界祈祷日】
・ 3月5日(土)世界祈祷日礼拝が吉川教会にて開催され、ユーチューブにての配信が為されました。
世界平和を覚えて祈りましょう。
【週報等の発送について】
【受難節】
【説教要旨】
神は私たちに試練をお与えになる。悲しみや病気、辛い出来事が私達に与えられるのは私達の鍛錬の為である。あるカトリックの司祭は「病気になったら、またとないチャンス到来、病のときは恵みのとき」と言っている。健康の時は「食べられることがどれほどありがたいことか、歩けることがどんなにすばらしいことか、新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか」に気づかない。まさに「病のときは恵みのとき」だと言う。へライ人への手紙12章5節「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけないなぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」と記されているが、試練は「恵みの時」と捉えることである。私達は病気や苦しみに弱い、何故か。悲しみや苦しみを否定的に、あってはならないものととらえるから、負けてしまうのである。パウロは言う「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる」(コリント二7:10)。二つの悲しみがあるのではない。悲しみは一つである。その悲しみを神からの試練と受け止める時にその悲しみは人を救い、悲しみをあってはならないものと受け止める時にそれは私たちにとっては大きな試練となる。私たちは悲しみや病気という試みを通して、旧い自我が壊され、愛される人生ではなく、愛する人生を歩むことが出来るように変えられて行くのである。「人には出来ないが神には出来る」、それを知るために、イエスが荒野に導かれたように、私たちもまた荒野に導かれていくのである。荒野、悲しみや苦しみこそ、神に出会う場なのである。試練に打ち勝って歩んで行きたい。